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ポジティブな本質を思い出すこと、そして、赦しについて

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南アフリカのバベンバ族にはこんな儀式があるそうです。

誰かが過ちを犯した時、部族の人たち全員が集まり
その人を中心に置いてみんなで囲みます。

そして、一人一人が語るのです。
その人が今まで行ってきた善行について。
その人が生まれてきてからしてきたすべての素晴らしいことを思い出させるそうです。
時にはそれが2日間以上続くことも!

そしてそれが終わるとその輪は解かれた後
再びその人を仲間に招き入れお祝いをするそうです。

バベンバ族はすべての人間は基本的に善良だと信じています。
私たちはみんな、愛、平和、安らぎを求めていますが
時には人は過ちを起こしてしまうものです。
バベンバ族はそれを助けを求める叫びだと言います。
そして彼らはそんな時、一つになって、過ちを犯した人をサポートし
その人が彼が自分の本性と再びつながるのを助けるのです。

彼が一時的に切り離されていた「私は善良である」という真実を完璧に思い出すまで。

このお話は、「ゆるすということ」ジェラルドジャンポルスキー著
という本のエピソードに書かれているお話で日本語にも訳されています。

気になって色々と調べていたらこんな言葉を見つけました。
“シコバ・ナバジョティサイキア!”
NABAJYOTISAIKIAは南アフリカで使われる褒め言葉です。
「あなたを尊敬します。私はあなたを大切にします。あなたを大切に思っています。」

それに対して人々は、”SHIKOBA “と返すのです。
それは”だから私はここに存在しています”という意味なんですって。

このお話を読みながら私は思いを巡らせています。
儀式の時に、部族の人たちが語ってくれるお話はいったいどんなことだろう?

その人が優しくしてくれたこと
親切に助けてくれたこと
美しく振る舞っていたこと
勇気を与えてくれたこと
知恵を与えてくれたこと
寂しかった時に寄り添ってくれたこと
一緒に笑ってくれたこと
一緒に泣いてくれたこと

一つ一つのお話の後に
「あなたを尊敬します。私はあなたを大切にします。あなたを大切に思っています。」
と言ってくれて
中心にいる人が 「だから私はここに存在しています」
と口にし続けたら、、、。

そのエナジーを感じて感動しています。

この現実において、
家族や親しい友人が私たちを悩ませるようなことをしたときに
多くに人たちの衝動は罰を与えることかもしれません。
そう、私たちはジャッジし罰を与えるのが得意です。

相手に罪悪感を抱かせるように操作したり
相手が私たちに接しているよりも私たちが相手にどう接しているかを思い出させたり
怒鳴りつけたり、無視したり……。

こんな時、エゴが主導権を握っています。
たとえ少し気がすんでも(謝罪を受け、「仕返し」をしたことで気分が良くなるとか)
それでその人がより良く生きられるようにをエンパワーすることはないでしょう。

バベンバ族のお話のように
「私たちが皆、根底では善良である」と思いだせたなら?
私たちはどれだけの怒りを手放すことができるのでしょうか?

それが自分自身にもどれだけの幸福と安らぎを生み出せる?

エゴの大好物の怒りでお腹をいっぱいにするよりも
私は進んで手放して
安らぎ、喜び、豊かさとともに人生を輝かせることを選びます。

 

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